私のNaturism/Nudism/CO (Clothing Optionality)


1.幼児期の日光浴。
 私が赤ん坊の頃の母子手帳には、裸での日光浴を勧める記載ががあったので、 そのころの写真には裸で日光浴をさせられている写真がありました。残念ながら 私の手元にはありませんが、多分実家(岩手県盛岡市)には残っているんじゃないかと 思います。(実家とは縁を切っているので詳しくは分かりません。)
2.初めて知った男と女の深い溝
 岩手県久慈市で幼少期を過ごしました。隣の「よしこ」ちゃんといつも遊んでました。 親同伴で遊んでいる時、彼女がおしっこするために親に連れられて草むらに行った時、 「たけしちゃんは来たら駄目だよ。」って言われ、男と女の間に深い溝が あることを初めて感じました。
3.これが私の親なりの性教育?
 岩手県一関市の中里小学校時代(2年生〜4年生)、親はあえてヌード写真の載った 週刊誌のグラビアを見せ(このあたりはにゃんごろりさんのHPにも 対話集として掲載されていました(現在サイトが消滅しています)。) ヌード写真が奇麗であるということを教えられました。素直に奇麗だなと思った私は、 親が毎週持ってくる週刊誌を楽しみにして、親がいる前で何のためらいも無く鑑賞していました。 (でも、私が初めて第二次性徴を迎えた朝、パンツに得体の知れないゴワゴワとした染みが 付いていて戸惑っている私に、母親はそれがいったい何を示す物か教えてくれなかった。)
4.ついに思春期に突入。近所の森でヌードレクレーション。
 小学5年生になる時に岩手県盛岡市に親が家を建てたので引っ越しました。
 近所の森には、もともと山菜やキノコを採りによく行ったものでしたが、 実はそこはいわゆるエロ本が沢山捨てられているところでもありました。 思春期に入ってからは、それを目的の一つにして放課後や休日になると しばしば森に出かけていました。
 第二次性徴を迎えていたので、性欲でもヌード写真を求めるようになった一方、 純粋に、写真を撮るために堂々とヌードになれるモデルの人がうらやましいという 気持ちもありました。自分もこの女性のように裸でいることを咎められない環境が 欲しいと思うようになりました。
 そうして自分も森の中で裸になり、大きな岩の上に寝転んだりしているうちに、 自分が自然の一部になれたような素晴らしい解放感が得られるようになりました。 そしてエロ本とは関係なく、森の中でのヌードレクレーションを目的に森に通う事が 多くなりました。
5.実家でのヌードレクレーション(その1)
 外で裸になる他に、マリリンモンローの「寝る時にはシャネルの香水だけを着けて寝る」 という話題に強く引かれ、自分も裸で寝てみるようになりました。ところが、母親は 毎晩、眠った私を覗きにきていて、私が全裸で寝ていた事が気になった様子です。 「昨日、あなた素っ裸で寝ていたわよ。」っていちいち報告され不愉快な思いになり、 親としっくりいっていなかったことも加わって、それ以降、一人暮らしを始めるまでは 裸で寝るのは止めました。
6.実家でのヌードレクレーション(その2)
 北国盛岡の冬は時に氷点下20度ぐらいまで気温が下がります。そんなとある寒い日、 自宅も近所も寝静まった夜中にそっと外に出て、庭に作った「かまくら」に入って ヌードレクレーションをしてみました。中は意外に暖かかったです。更に、周りに 誰もいないことを確認して、そのままの姿でかまくらの外に出て歩き回ってみたりしました。 風のない静かな夜だったので、全く寒さを感じませんでした。とても解放感があって 気持ちよかったです。
7.山岳部の楽しみは、やっぱり温泉でしょう
 高校生になって山岳部に入りました。「疲れて汗まみれになった体にはやっぱり温泉!」という ことで、沢山の温泉に入りました。特に露天風呂は最高です。浴槽の側のベンチに 裸で寝転がって、近くを流れる川の音に耳を傾け、落葉樹の緑や紅葉を眺め、体が心地好い風に 包まれるような感覚に、自然と一体化した感動が沸き立ってきました。
8.ヌーディズムの情報に出会う。
 私が思春期以降、初めてヌーディズムに関する記事を読んだのが、当時創刊してそう日が 経っていない写真週刊誌FOCUS(1982.07.30号12ページ)「裸族VS.ジョーシキ人」 でした。ドイツのミュンヘンの公園でのヌードレクレーションに関する賛成派と反対派との 争いがあり、この度、公園にヌーディストOKのエリアを設けて住み分けをすることで 決着したとの記事でした。私は「ああ、この公園でヌードになりたいな。」って思いました。
9.大学の学生寮は銭湯みたいに大きなお風呂
 大学では金が無いので学生寮に入ったのですが、そこの風呂がまるで銭湯のような作りで お決まりのタイル画の「山」が浴槽の壁に描いてありました。(ちなみに隣の女子寮の風呂は 全面一色のタイルで一切絵がなく、窓も高いところにちょっとあるだけで殺風景です。) 新入生ほどみんなの前で裸になるのが最初は恥ずかしいらしく、股間を隠して恐る恐る入ってきます。 でも、じきに裸の付き合いに慣れてくると、わざわざ性器を隠す人は少なくなります。
10.Nudismの話題
 大学では地震学講座(当時。現在は大学改革で2つに分割された。)に所属していました。 講座での飲み会の時、教授がアメリカに留学した際の話になりました。その話によると、 プールのそばでのパーティーに参加したら、向こうの女子学生が恥じる事無く平然と裸で プールで泳いだりして、その姿のままその教授と世間話をしたりしてきたそうです。 そういう話を聞いていると、アメリカのNudismへの寛容さにどんどん憧れが増していきました。
11.大学にインターネットが導入され始めた



















 「インターネット」なるものがまだまだ研究者のネットワークでしかなく、社会的な知名度が ゼロだった時代、私のいた研究室に徐々にインターネット環境が導入され始めました。 最初は一時代を席巻したネットスケープといブラウザがまだ存在せず、ネットスケープの前身の「モゼイク」という ソフトが使われていました。その後、徐々にネットスケープに置き変わりましたが(現在はIEなど多種のブラウザが使われています)、それを使って アメリカのYAHOOで「Nude」で検索したところ、出会ったのがTNS(The Naturist Society)でした。 色々リンクをたどって、幾つものHPを渡り歩き、または、当時テキスト主体の情報サイト「ネットニュース」にテキスト化されて流れていた画像を集め、 Naturismの世界の素晴らしさに感動していました。例えばこれらのカナダのNaturismの雑誌の写真や ネットニュースの画像からは、子供も親も生き生きとして楽しんでいる様子が ひしひしと伝わってきて、Naturismにぐんぐん引き寄せられていきました。


12.大学を出てから
 家庭の事情で研究の道を外れ、いろいろな仕事をし、何度も転居を重ねてきたので、 ここ数年は自然の中でヌードレクレーションをする余裕もなかなかありませんでした。 それでも機会を見つけてヌードレクレーションをしたのが
・岩手県下閉伊郡田老町(現宮古市)真崎海岸で:(1996.07.17)
・静岡県静岡市(現葵区)梅ヶ島温泉郷近くでの川原で:(1997.08.14)
・兵庫県神戸市(垂水区と須磨区の境界付近)の海岸で:(1998.01.02)
山梨県南巨摩郡(富士川と早川の合流地点付近)の川原で:(2003.05.04)
   (早川の画像は、弾圧以後、一緒に写っていた友人が掲載許可を取り消しました)
です。
13.今後
宝くじに大当たりでもしないとヌーディストリゾートは作れないでしょうが、 機会を見付けて自然の中でのヌードレクレーションをしたいと思っています。 それの報告はここに掲載していくつもりです。

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